象と象牙の本当の話。

全ての命に
同じように感謝を。

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「アーバンベア」と「象牙」から考える、すべての命への敬意

最近、日本各地で「アーバンベア」と呼ばれる熊の出没が増えています。
山で暮らしていたはずの熊が、人の生活圏に姿を現し、時には人を襲う事件も起きました。
痛ましい出来事であり、被害にあった方々のことを思うと胸が痛みます。
けれど、その背景を少し掘り下げてみると、見えてくるのは“熊が悪い”という単純な話ではありません。

アーバンベアの根本的な原因

熊が人里に降りてくる一番の理由は、山に食べ物がないからです。
ドングリや木の実の凶作、森林の老化や放置、気候変動による異常気象。
そのどれもが、人間の生活や開発によって起きた環境変化と深く結びついてるわけです。

かつては人と熊のあいだに「里山」という緩衝地帯がありました。
人が森を手入れし、自然と関わることで、熊は山に、人間は里に、それぞれの居場所を保っていたのです。
ところがその関係が途絶え、山が放置されるようになった結果、熊は食を求めて町に出ざるを得なくなりました。
(参考:環境省「クマ類の出没対応マニュアル」

熊の被害と呼ばれる出来事の多くは、実は熊が生きるために選ばざるを得なかった行動なのではないかと。
つまり、これは“自然の問題”ではなく、“人間の作り出した構造的な問題”ではないだろうか。
そう考えると、熊の問題も人災なのではないでしょうか。

象が語るもう一つの人災

一方、遠い国タイでは、野生の象による人身被害が増えています。
2023年には21人が犠牲となりました。原因は森林開発による生息地の縮小とエサ不足。
人と象の距離が急速に縮まり、衝突が増えているのです。

現地ではボランティアが火薬玉を使って象を追い払ったり、AIによる監視システムで象の移動を把握したりと、共存のための努力が続いています。
アフリカでも、ジンバブエでは年間50人、ボツワナでは13万頭もの象が(※生息しており)人と衝突し、生活の糧である農地を荒らす「害獣」としての深刻な被害も出ています。
保護と共存は、今や世界的な課題です。

しかし考えてみれば、象の生息地を奪ったのも人間であり、象牙を求めて「密猟」という最悪の行為を生み出したのも人間です。
そして今では、象牙そのものが“悪”であるかのように語られがちです。
けれど象牙は自然が生んだ素材であり、命の証そのもの。
本来悪いのは素材ではなく、それを違法に乱獲し、命への敬意を欠いた人間の側です。

(密猟などではなく)象が命を終えたあとに残した貴重な資源を、法に則り、誠実に活かすこと。 かつてその国際取引による収益が、現地の人々と象とが共存するための環境整備や保全活動の資源ともなっていた事実にも、目を向けるべきです。
それは“搾取”ではなく、命の“継承”であり、現地と象の未来を守る一つの“共存の仕組み”でした。
正しい理解と責任ある使い方こそが、自然に対する最大の敬意ではないでしょうか。

人間のエゴがすべてを歪める

熊が出れば「危険だから駆除しろ」と言い、密猟問題が起きれば「象牙は悪だ」と断じる。
けれどどちらも、根本にあるのは同じ――人間のエゴです。
便利さを求め、自然を削り、バランスを崩したのは人間。
それでも被害が出れば“自然が悪い”と片付け、問題が起きれば“素材が悪い”と非難する。

私たちは、牛や豚、鳥や魚、そして野菜や草木の命を「いただきます」と感謝して食べなければ、生きていけない存在です。
それなのに、「象だけが特別に可哀想」で、「植物の命は可哀想ではない」のでしょうか?
命に優劣をつけることこそ、人間のエゴではないでしょうか。
この矛盾が、熊も象も苦しめているのです。

自然を敵にするのではなく、背景を理解し、全ての命に等しく敬意を払い、共に生きる道を探す。
それが、いま人間に求められている視点ではないでしょうか。

私たちができること

では、私たちはどうすればいいのか。答えはシンプルです。自然を管理するのではなく、共に生きる仕組みを取り戻すこと。

1. 山を取り戻す。
熊が町に出るのは、山が壊れているから。放置された森を再生し、ドングリや木の実が実る環境を取り戻す。
人が手を入れることは、熊を遠ざけることではなく、共に生きる環境を整えることです。

2. 象牙と正しく向き合い、現地を知る。
違法な密猟は断固として根絶すべきです。その上で、象牙という素材のすべてを否定するのではなく、「命の証」として正しく受け継ぐ。
厳格な登録・証明制度を守るだけでなく、アフリカ現地の住民が象(害獣)の被害に苦しんでいる現実や、象の保護と住民の生活を両立させるための「管理された資源活用(サステイナブル・ユース)」という考え方にも目を向ける。
素材と文化を責任ある形で守ることが、現地の命を守ることにもつながります。

3. 人間中心から共存中心へ。
「便利さ」ではなく「調和」を基準に暮らす。
自然に線を引くのではなく、自然(他のすべての命)の中に人間が生かされているという感謝と意識を取り戻す。
それが、熊も象も救う第一歩です。

最後に

人間は、他の命を利用しなければ生きていけない存在です。それは悪ではありません。
しかし、敬意と感謝を失って乱獲することは罪です。
熊を殺す前に山を直し、象牙を(密猟から)守りつつ、その命の価値と現地の現実を伝える。
自然を敵とせず、対話しながら共に生きる努力を続けること。
人間が変われば、自然は必ず応えてくれます。

熊も人災。象牙をめぐる問題も人災。
だからこそ、救うのもまた、(すべての命に感謝と敬意を払う)人間なのではないでしょうか。

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